homestay
2008年05月11日
2007年03月22日
No.76 イメージの大切さ
留学前に、不安に思う方、心配される方も多いかと思います。
イメージというものは、人の潜在意識に訴えかけてくるものがあり、
それだけでその人の人生をも左右する力があります。
通常、成功した留学といわれるイメージにはどのようなものがある
でしょうか?
下記にざっと、表現の仕方は自由にしてあげてみたいと思います。
(悪いイメージの方が沢山、上げやすいかと思いますが、あえて
ここでは、書きませんが)
●自分らしい仕事に繋がる留学
●幸せな生き方に繋がる留学
●感動できる留学
●感動する過ごし方ができる留学
●感謝できる海外生活
●外国人、日本人問わず友達に囲まれながら過ごす海外生活
●山あり谷ありながらも、壁を乗り越えていく生活
●出会いに恵まれる海外生活
●縁が縁をよぶ留学生活
●出発前⇒滞在中⇒帰国後ずっとつながる海外生活
●この滞在が帰国後を明るくするという留学
●ずっと思い出にのこる留学
●永遠に思い出に残る留学
●目標を達成する留学
●自分らしさをみつける留学
●自分を感じる留学
●自分らしさを思い知る留学
●自分の認識が深くなる留学
●(日本と海外の)違いを見つける留学
●あらなた感情に出会う留学
●経験値が高まる留学
●視野が広くなる、思いやりがもてる、深くなる留学
●沢山の失敗をえて自信がつく留学
●語る事ができる留学
●思いやりが深くなる留学
●人との出会いの価値が実感できる留学
●きづく留学
●学ぶ留学
●遠方のいる人のことを本当に感じる留学
●出会いと別れの価値に気付く留学
●自分の可能性に気付く留学
●できることを実感する留学
●人恋しくなる留学
●日本(語、食、音楽、携帯?声、情報、テレビ)が恋しくなる留学
●達成感が味わえる留学
●自立する留学
●自信がつく留学
●チャレンジ精神が身につく留学
●できるかも!と思わせてくれる留学
●また会いにこようと思わせる留学
●渡航を決断して、本当に良かったと思える留学
●別れの辛さを知った留学
●ホンモノの孤独を知った留学
●ホンモノの寂しさ、悔しさを知った留学
●好奇心に満ち溢れた留学
●旅の楽しさを知った留学
●世界の可能性を知った留学
●現実を知った留学
●甘くないと知った留学
●人生の糧になる留学
●今後の人生に200%活かすことのできる留学
●異国の友人ができる留学
ふぅ〜 ざっと 50個ほどあげてみました。
(頭がクラクラ・・・・汗)
あてはまりそうなものありますか?
イメージはあなたを形作ります。
★どんな風にありたいか?
★どのように過ごしたいか?
★どう、これからにつなげたいか?
それが自然にプラスに向かえば勿論
素晴らしいことです。
・・・・・が!! ちょーっと待ったぁ(笑)
頭の中で考えているだけだと、思考が拡散してしまいます。
(そして、放っておくと、人はマイナスイメージで考えるように
なっています。)
そこで、是非、紙に書いてみてくださいね。
(↑驚くほど思考にかなりの差がでてきますよ)
意識して、あなたらしい良いイメージをみつよう。
こう考えてみると、英語を学ぶというのは、手段の1つにこそなれ、
目的にはならないケースが多いようです。
そうなんですよね〜。
確かに英語を目的にする人も多いですが、英語は日本でも
学べるんです。(キッパリ)
これは、間違いなく断言できるのですが、
海外に留学するとなれば、英語を学ぶ事以上の何か、
その価値を得てくる事が多いのです。
そして、極め付けには、海外で英語を学ぼうという方に気をつけて
もらいたいことの1つに、海外で学ぶ方が英語が効率的だとは
限らないという事なんです。
そう思い込んでいると良く、私も繰り返しお伝えしている事
なのですが、あるワナにはまってしまうのです。
海外という英語に囲まれた環境にいることで、自然と英語が
身につくと思ってしまう!! と、危険です。
(そんな事は全くありません。 身につくとしても、と〜っても時間が
かかりますよ。)
意識して、効率のよい方法で日本で学んだ方がよっぽど早く、
しっかり身につくことだってあるのです。いや、むしろこっちの方が
身につくかもしれません)
日本にもよい教材が沢山でています(そうじゃないのもあるけどね)
とは言え、海外生活を通して得る経験、出会い、感動はかけがえの
ない宝物だと思っています。
私は、それで人生が一変した一人です。
英語も大事、言葉も大事だけれどそれ以上のものが
異国の人達とのふれあいの中に詰まっています。
だからあなたにも、これから異文化交流に携わり
そんな感動を沢山味わって欲しいと思います。
_____________________
■ 【英語が苦手だからこそできる!!】
〜あなたを不安・危険な考え方から今すぐ救う
学び方のコツと、38倍コミュニケーション力UPの
コロンブス的発想術♪〜
http://www.u-stay.org/letter/
いわゆる単なるノウハウ本ではなく、
一生使える発想法、学び方、コミュニケーション術に
ついて書かれています。
実践すれば、思考が間違いなく変わります。
できる人になります。真に伸びていく人は必ず
●●しています!
その違いを実感して下さい。
2006年12月09日
No.54 外国人の友人編 Part 2 (ヘラルド)
友人ヘラルドのこと
今日は、アメリカ サクラメントに住んでいる
ヘラルドという友人にサプライスコールしました。
と、言うのも
ヘラルド、フランチェスコとのあいだに、
子どもが生まれたばかりなのです!!
彼と直接話すのは 久しぶり。
友人のキムソンの結婚式が、アメリカのモントレー
で行われたのですが、その式に彼と彼の奥さんと
一緒に行ったのが2年半前。
直接話すのは、それ以来です。
彼は、今はUC barkley で都市開発を学んでいて、
とっても優秀なのですが、みかけはギャングみたいに
いかついんですね 笑
特に、始めた会った時にはそう感じました 汗
(でも サングラスをとると、目がやさしく、
子どものように童顔です。
また、とっっても性格のよい面白い性格です)
本来の優秀さと、普段の ボケぶりのギャップが
なんともいい!!!
来年の夏には、バークレーを卒業し
(MBAを取るのだと思います)
恐らくは、プロフェッサー(教授)になるかと思います。
なので、アメリカに留学し、都市開発を学ぶ人には紹介
できるかと・・・
(って そんな縁があったらすごいなぁと思っています)
先日、これまた久しぶりに話した、エディという友人も
大学をでて、コースに通い、念願のpediatrics って言いまして
子どもや、赤ちゃん専門の医者になっています。
みんな年をとり、物凄い変化をとげ、
成長しているんだなぁとしみじみ実感。
そして、出世コースを歩んでいる友人も多いです。
彼らと一番最初に出会った頃は、お互い学生・・
カリフォルニアから、研修で1ヶ月 京都の大学に
来ていました。
そして ヘラルドは、私の家に1泊ですがホームステイ
したのです。
かれこれ、うン年前ですね(笑)!! 月日を感じます。
その時のネタや、エピソードをま〜だ覚えていたり、話して
きたのには笑えました〜(笑)
とっても、なごやかな時間でした。
彼(彼女)らと話すたび、友達のありがたさを感じます。
日本だと、まだ 距離的にも、気軽に会いやすいと思いますが、
海外となるとそうはいきません。
だからこそ、たまに話すと言葉の重みを感じます。
本当は日本の友達でも同じ事。
物理的な距離は関係なく、心の距離が
友達か、知り合いかを決定づけます。
どこから、友達で どこから そうでないか・・・という
単純なものではないのですが・・。
友人の大切さを知った一日でした。
2006年12月07日
No.53 ニッポンの教育
今回は、日経新聞より、かなり気になる記事が
あったので、シェアします。
12/6 日経新聞より (一部省力、まとめてあります)
京都市教育委員会が2002年に実施したアンケート
(大人・子ども約2万2千人が回答)より
『他人の自転車を勝手に乗る事は絶対すべきではない』
と答えた子どもは 58.9%
『ルールは全く守らなくても良い』
との回答は、15.8%
特に高校生では、23.9%
異変は親だけではない。
東京都内の小学校教諭は、連絡なしに休んだ子ども
の家に電話して、親の答えに開いた口が塞がらなかった
経験が何度もある。
『寝たのが遅かったからしょうがないでしょっ
今日は休ませます』
『どうだっていいじゃない。いちいちうるさいわねっ』
・
・
・
数えあがるときりがない。
この、陰鬱な気持ちは何だろう。
お茶ノ水女子大の小玉 重夫教授(46)は
『価値感や家族のあり方の多様化が背景にある。
規範そのものの組み替えが必要で、いくら家族の
絆を強調しても対応できない』 と指摘する。
社会や、家庭の変化もさることながら、学校教育が
道徳教育に積極的に取り組んでこなかったという側面
も見逃せない。
東京都、若月 秀夫教育長は、強調する。
『もはや、子どものしつけは学校と家庭のどちら
が中心でやるのかを議論している段階ではない。
家庭にしつけや、教育力が望めないのであれば、
学校がやるしか道はないと考えた。目の前の子ども
をきちんと育てることが先決』
『まっとうに育って欲しいという思いがある
限り、親の教育力はある。みんなが責任を分かち
あい、汗をかく 【共汗】の教育が大切だ』
京都市、門川 大作教育長は訴える。
子どもたちのモラルの低下は、いずれ社会の根幹を
揺るがす。【よいこと】【わるいこと】と言った
最低限の教えから、始めなければならないほど、
状況は深刻だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
再来週、塾の教育現場にいく事になりました。
英語の授業と、国語の授業の見学と視察に。
又少し時間があるので、子ども達に話をする事に。
そういう事が視野にあった上での、今日の記事。
考えさせられます。
2006年10月04日
No.34 夢は大きく志高く!!
先週土曜日、以前にも書きました、増田さんの
(No.9参照)
フォーラムに行ってきました
正直これが無料!?ていう内容。
気付きと学びが沢山ありました
まっすーこと、増田さんとは、以前お会いしたのが、
まだ私が東京に行く前なので、5年半か6年ぶりか
と思います。
そして、起業前の出会い以来なので、何だか新鮮な
気持ちになりました。
起業について、経営について、そして人生について、
頭の中とハートの中にあるものすべてを絞り出す決意です。
・・・という増田さんの熱い日記をみて、そしてこれは会える
絶好の機会だと感じ他の全ての予定をひっくり返し
参加を決めました。
↓ ↓ ↓
起業家フォーラム2006
学びだけじゃなく、厳しさだけじゃなく、
かなりの笑いがありました。 増田さん 大阪出身?
と思わせるくらい・・・
フォーラムには、増田さんフリークの熱い起業家
お姉さま2名&中京大の学生2名が、名古屋からお越し
になっていました。
名古屋から来るだけあってやはり、モチベーションが
高かったですね!! また、貴重な出会いと起業に対する
示唆も頂きました
感謝です
その後、
増田さんのお計らいで、京都ごはん処の
光泉洞のSさんと、京都ベンチャーネット合資会社の
Kさんが合流し、計8名で京都は銀閣寺近くの
ノアノアに夕食へ。
竹やぶを眼前にして、食べるイタリアンは絶品です!
(京都へ行かれる方は是非どうぞ)
話題豊かに、展開されるトークと熱い仲間達、そして
美味しい料理・・・
あっっっ という間の一日でした。
P.s
タイトルの夢は大きく志高く
は、増田さんにサインして頂いた文字です。
2006年09月03日
No.30 電気のない時代を生きる
親戚のおじさん、おばさんの家にいってきました。
叔母さんが熊本から一時、大阪にでてきているので
その叔母さんにも会うために。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これまでの私の近況報告等も兼ねて色々話していたの
ですが、今回、一番盛り上がったのが、昔話でした。
なんと、なんと 叔父さん叔母さんが生きていた時代
には冷蔵庫も! 洗濯機も! 電話も! ガスも!
水道も! ましてや、電気さえなかったのです
考えられますか!? 考えにくい〜(笑)
想像すれば、するほどなんか夢中になります!!
そんな時代に正真正銘生きていた方と、【今】
まさにリアルに話をしている、、、
(そんな自分がここにいる・・・なんて、冷静に
考えてみたりして)不思議な気持ちでした。
あらためて3人とガッツリ握手してもらい
ました、、、(叔父叔母も、笑っていましたが・・)
このような話を聞く事が、とても簡単な
言葉では言い尽くせない程、貴重な気がするのです。
(忘れたくない・・と心から思います、だから
日記に書く欲求につながったのかもしれません)
私自身何かを学ぼう、きづこうという思いで必死
だったと思います。
逆に、今の時代の目覚しい移り代わりを、私が話を
すると、それはそれで、ビックリしていましたが(笑)
叔父さん達と話していると、今、あるものは当たり前
じゃないんやなぁと、それは当たり前なのですが、
改めて、まざまざと実感します。
こんな機会がないと、体の芯からは中々実感しにくい
事だなと思いつつ、そのような時代に生きてきた事を、
面白おかしく、そして時には厳しく話してくれた叔父
さん叔母さんに感謝☆です。
(考えてみると、常識としては分かることなのに、
改めて聞くと へェ〜!!!!と感動が何倍にも
なるんですよねっ。それが、本当に、興味深いの
です。まぁ私のリアクションも相当が派手なのかも
ですが)
☆☆☆☆
例えば、97歳のおばあちゃんの小学生の時。
ランプを磨くお手伝いをしていたそうです・・
当時、電気がなかったのです。
電気が通った時、日本に電気が通った時、
もう磨かなくてすむ〜と嬉しかったそう。
☆☆☆☆
☆☆☆☆
例えば、叔父&叔母の少年時代、水道がなく、
井戸で水をすくうのは当たり前でした。
その水をすくい上げるのも、難しくて、コツがある
そう・・・ 叔父・叔母の3人は意見が一致した
ようで、そこでかなり盛り上がりをみせていました。
(傍から見ていて、それが、まさに昨日の事のように
話すので、よく覚えてるな、、と関心しました。
話し方も上手く、私に絵が浮かんできました
)
☆☆☆☆
まぁ、話をしていると、私もかなりテンションが
あがり会話に入りまくるので、それに負けじと?
叔父さんや叔母さんも 昔話を今の事のように
語ってくれたのかもしれません。
私たちは、常に流れの中を生きています。
今、まさに劇的な変化
の時と言われていますが
(インターネットしかり、Web2.0しかり)
自分としても、未来の子どもたちに明るく語れる
【今】でありたいなと思いました。
2006年09月02日
No.29 ワーホリ帰国者とその後
オーストラリアでのワーキングホリデー経験者
帰国後のお話です。
帰国した方には輝いている方も多いので、
たまに取り上げていきたいと思います。
その彼は、帰国して1年以上たつのですが、
現在でも、輝いている一人です。
彼にとっては、オーストラリアは初海外。
旅行もなし。
その第一歩が、いきなりのワーホリでした。
最初のカウンセリングや、相談の時は、英語
の相談・不安をはじめ、いろいろと深く話して
いた事を思いだします。
ファームステイや老人介護ボランティアの後、
語学学校を経て、オーストラリアを旅することに
なったのですが、途中、帰国しそうな程の想い
に囚われた時に、何度かやりとりをしていました。
彼 【このまま帰ったら負け犬ですかね?】
私 【負け犬だと思うよ、負け犬と思っている
のなら】
それまでの背景もありながらも、きつい事をいった
記憶があります。しかし、彼は帰国するたまじゃない
という確信に近い思いも私の中にありました。
こう聞いてくる時点で、彼にはやる気がある!と
思ったものです。日本での面談の中で、彼の特性
のようなものを感じていました。
経験上、素直じゃない人は、そもそも聞いてこない
方が多いのですが。。
そして、彼は私が話した事を素直に実践し、その
数日間、思考を重ね乗り越えてきました。
又、オーストラリア中を旅をする中で、出会った、
各国の友人達と交流するにつれ、自分のやりたい
事は何か・・
何の為に生きているのか・・・を、深く深く考えた
そうです。
何せ、考える時間は山ほどあります。
(※実は、自分の事を考える時間の多さに比例して
真剣に考える人が少ないという実感も裏ではあります。
悲しい事実なのですが・・)
そこで、彼の出した結論! 日本で何をやるか
ではなく、どうして生きていくのか・・・。
それは、世界に誇れる日本の文化を伝えたい
という事でした。
今、大介は、千葉の花火職人のもとで修行し、
一歩一歩前を向いて歩いています。
つい先日は、秋田で75万人のもと、花火をあげた
そうで、PLの花火にも、打ち上げ職人として参加した
とのこと。
いつか、私が連れてきた外国人の友人達と、彼の
満天の打上花火をみてみたい!! そう本気で
思います。
がんばれ! 大介!!
P.s そんな彼ですが、10月11日の放送で、
筋肉番付のサスケという番組に出演する事が
決まっています。
是非、みなさん、彼を応援して下さい!!
来週がそのトライアルだそうです・・。
本人曰く、【完全制覇狙ってます!!】
2006年08月28日
No.28 ガッチャまん
父に聞いてみた
『俺の小さい頃に、家族で会話した
録音テープ
ってあったりするん?』
父曰く
『あるよ〜 確かガッチャマン?うたってたん
ちゃうかな!?』
うーん。
聞きたい衝動にかられたが、
もう少し、気持ちが高まり 
その時期がくるまで待ってみよう
ただ、そういうものを残しておいて
もらえた事自体が素直に嬉しかったよぉ。
さてっ いつ聞くことになるかなぁ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第7回)
(前回はこちら ⇒ 第6回)
剣道仲間への告白 Part 1
辞めるかもしれないな・・という気持ちが頭をかすめながら、
1週間ほどたっていました。
その頃は、通常に練習に参加できるモチベーションでは
到底なかったのです。
そんな時に剣道部の同期の仲間で集まる飲み会が
ありました・・・。
・
・
・
『これが、伝える機会かもしれない・・・』
・
・
・
声がかかった時、とっさにそう思いました。
と同時に、こんな状況でも(仲間には、私の状況は分から
なかった事ですが、、) 誘われる事にありがたみを
感じていました。
モチベーションがあがらず、ずる休みしていた事、
海外研修の説明会に参加していた事
それだけは必ず伝えよう、そして何を言われても素直に
受け止めよう』
と覚悟し参加しました。
正直、責められることも、とがめられる事も覚悟の上
でした。 どのような結果になるかは、想像もできない
事でした・・・。
そして、当日 同期のメンバーが集まり、福井県出身の
ノムさんの家で、ドンちゃん騒ぎが始まりました。
当然、吐く仲間もいましたが、ノムさんのワンルームは
かなりの盛り上がりをみせていました。
そんな中、私は内心、ドキドキしながら、言うタイミング
を図っていました。
しかし、中々 言えず時間だけが過ぎていきました。
そんな中、ついに 後の剣道部の主将になる通称クマハチ
が、聞いてきました・・・・
『おまえ、今までどうしててん?』
(続く)
第 8回は こちら から
2006年08月26日
No.27 ホームステイから自分を考える
明日から、とある事情もあり、
オーストラリア人の友人が3日 程、ホームステイしに来ます
←(大学生の頃、ホームステイ風景)
今年は、これで、外国人の受け入れ4回目なのですが、
そういう訪問してくれるという声を聞くたび、本当に
なんとも嬉しい気持ちになります。
そして、どうしてこんな気持ちになるのだろう・・と思い、
改めて意識して考え直してみました。
すると、人にお世話したり(されたり)するのが好きな
自分が浮かんできました。
単純に言えば、人と人との関わり合いが好きなんですね。
もっともっと、突き詰めてみると、その事を始めて、
実感させてくれたのは、やはり、大学2年の時の
初めての海外生活体験だったのかなぁと思います。
その時は、何もかも始めての中で、すべてが新鮮
でした。
大学の研修という形でいったのですが、その仲間とは
今でも年に2,3度会っています。
その時にお世話になったメルボルンに在住の
大学の講師とは現在、ビジネスパートナーとしても
お付き合いがあります。
実感はないのですが、もともと、そのような気持ちを
抱くようになった原点は幼い頃にあるのかもしれません。
私の家系は、父が8人兄弟の一番末っ子、母が7人
兄弟の一番年上(長女)なので、従兄弟、親戚が
ものすごく多いのです。
ですので、小さい頃から特に従兄弟や、 おじさん・おばさん
たちなど大人の人に囲まれて育ちました。
父が意識的にそうした集まりに連れていってくれたようにも
思います。
自然と人との関わりあう楽しさ・術を覚えたのかも
しれません。
その頃、父は仕事の真っ只中で遊ぶ時間がどうしても少なく
なりがちだったようですが、そんな時は、親戚や従兄弟に頼み、
私の遊び相手をお願いしていたという事を思い出しました。
おかげで、今では、10歳以上離れた、従兄弟達とも、
とても仲がよいです。
毎年、お正月には50人以上の親戚・従兄弟が集まる
のですが、改めて幹事をしている父や、祖母の人望が
思いだされます。
何故、今日 このようなお題にしたかと言うと、
今、改めて、自分の過去を振り返っているからなのです。
(これが、結構時間がかかるものなのですが・・)
思い出せること、忘れていること等、様々ですが、
出来事・経験がただ、通り過ぎていったのではなくて、
その時には、その時にしか味わえなかった感情が確か
に存在していた事に気づきます。
意識的にしろ、無意識的にしろ、それがつながって
今があるんだなぁと思います。
ありのままの自分でいるというのは、難しい事では
ありますが、もっともっと自分を知って(時に辛くも
ありますが、それを乗り越えて)ありのままの自分を
好きに、そして受け入れられるようになりたいと
思います。
2006年08月13日
No.26 0 対102
〜 これが(ツッパリ生徒達
が)、もし俺の息子
だったら!!!
・・・という気持ちで生徒に向き合う〜
その生徒(伏見工業高校)達は、先生に水をかけたり、
服に火をつけたりしていたそうです
学校中の窓ガラスは割られ、教室ではタバコ、マージャン
はあたりまえの世界。
先生たちも、みな怖がって、生徒と向き合おうとしない。
上記は、そんな中で発せられた山口良治先生の言葉です。
胸にしまって忘れたくない言葉です。
山口先生率いるラグビーは、1年目、102対0で
大敗しました。(そこにも又ドラマがあります)
その伏見工業高校ラグビー部、、1年後には、京都一に
なります。
その間何があったのか??
プロジェクトXの 『ツッパリ生徒と泣き虫先生 』
で、事実を垣間見る事ができます。
私は、モチベーションを高めるためにしばしば、
こうした類のビデオをみます。
今週は、同じシーンを10回以上みました
下記、大好きなシーンです。
『子どもを、嬉しい気持ちにさせてやろう・・という先生
がようけ(沢山)、おったら生徒はみな変わっていく。
なぁ シンゴ そう思えへんか?』
みなさん、、
あのシンゴがですよ!! あのシンゴが、、
八坂のシンゴが (※山本 しんごは、当時、京都中
の不良の中で頂点を極めたといわれてました。ちなみに、
八坂は京都の地名)
伏高を受けるって・・・ 伏高どないなんね〜ん!!
(※それほど、学校側は、 山本シンゴが入学してくること
を恐れていました)
その、シンゴが、 (大泣きしながら、、、シンゴに
よりかかる) 今、教師をしてくれてる・・・(号泣)
このシーンを見ると、いつも涙腺がゆるみます。
理想の先生です。
P.s 友人に伝えたら、6年前も、お前に薦められて
オフィスで、見せられてビデオもお前からかりたよっ
あいかわらずやなぁ、、とのこと。
う〜ん。変わってない (笑)
2006年08月09日
No.25 セネガルの友人のこと
アフリカのセネガル出身で友人でファヤという
友人がいます。
彼にまつわるちょっとしたエピソード
当時通っていた、龍谷大学2回生(2年生)の冬のこと
いつものように、国際交流会館に入り浸り、
各国の仲間と『ここが変だよ日本人』をみていました。
すると・・・
突然、雪が降り始めました。
あたりの深遠な、その暗闇の中に、かすかに光る
白いコントラストをみつけ、
『雪だ〜!!』
と叫ぶや否や、友人達に声をかけ皆で外にでました。
外にでて、みなではしゃぎ、口をあけて、上を向いたり,,,
はしゃいでいました。
そんな中、一人不思議なリアクションをしている人物が・・・
龍谷大学の招待(つまり学費留学)で留学していた
セネガルの友人、ファヤでした。
彼は、みなが騒ぐ中、涙ぐみ静かに立ち尽くし
そして両手の小指と小指を重ね雪を手にかざして
いました・・・。
・・・・
雪がふる、、、その光景に感動し、震えていたのです
セネガル出身の彼は、母国では勿論、日本においても、
その時が、雪をみるのが始めてでした。
それが彼にとっての普通なんだ、
私にとってもカルチャーショックを受けた出来事で、
当たり前の事を当たり前だと思ってはいけないと
感じた瞬間でした。
日本では当たり前のことでも、彼(彼女)達、異国から
日本に来た留学生にとっては、珍しいことや、母国に
いた時では考えられない出来事がマダマダ沢山
あるに違いない・・・そんな事を思いました。
逆に私も体験できるのかもしれない・・・
その可能性もあるんだ・・
違いを知る・ 違うという事の素晴らしさ、、
それを肌で実感できた出来事でした
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第6回)
(前回からの続き・・・)
前回はこちらから⇒第5回
オリエンテーションでは、無我夢中でした。
当時の内容自体は全く覚えていません。
このオリエンテーションは、その後、数回に渡り、
(英語のレッスンなども含めて)続くということを
聞かされました。
最初のオリエンテーションに参加したことで、
次回(2週間後)も参加したい欲求が沸き起こりました。
このまま、この道を歩けば海外にいけるのだろうか
・・・と思うと、
不思議な感覚に陥りました。
剣道のことがみえなくなってきていたのも確かでした。
こんな気持ちのまま剣道を続けていいのだろうか?
という気持ちを払拭できないまま、
日々が過ぎていきました。
どっちつかずの自分がいました。
罪悪感が募る一方で、海外に向けての期待も
膨らんでいきました。
まだ答えがでた訳ではなかったのですが、
そんな煮え切らない自分に嫌悪感さえ抱いていました。
小学校でソフトボール、中学校でソフトボールと
サッカー、高校では剣道 というように、常にスポーツと
共に過ごしてきた私にとって、部活動をずる休みしている
現実でさえ、耐え難く、まして辞める可能性を考える事は
非常に勇気のいるものでした・・・。
続く ⇒ 第7回
2006年08月03日
U-stay's blog No.24 中村 文昭氏 講演会
先日、中村文昭氏の講演会に行ってきました。
私の会いたい人リストに入っていたのですが、そのリストに
入って2週間後位にその方を紹介され、これは、ご縁にしたがって
自然の流れでいくしかないと・・思いました。
中村氏は、まさに、現代版 『豊臣秀吉』とでもいう か、
とんでもなく、人を引き付ける魅力のある人でした。
恥ずかしながら、中村さんの目の前で涙をこぼしてしまい
ました。 自分と置き換えて考えると、もっともっと自分を磨かなけ
ればという思いに駆られました。
中村さんは、講演が終了後 15分後に出発するバスに乗って
新潟にいくという事で、急いでバス停に向かわれたのですが、
すぐに追いかけていき、バス停で お礼を言わずにはいられま
せんでした。。。(実は、2時間の講演のはずが、延長、延長でバス
の時間ギリギリまで語りつくされていたのです)
理論や理屈以上に、何よりも心に訴えかけ、感情を思いっきり
出して話しているのが印象的でした。
また会いたいと心から思う人にお会いできた事に幸せな気持ちで
一杯になりました。
P.s
現在、氏は伊勢でレストランウェディングの代表をしておられます。
また、一方で『耕せニッポン』という熱い企画をプロデュースして
おられます。 ⇒(http://ryo-ma.net/event/)
自給率が低い日本・働くことができない若者がいる日本 …その二つの
問題を庶民レベルで動いてなんとかしようじゃないかと、北は北海道の
大地で中村文昭さんがニート、 ひきこもりと呼ばれるような若者たちを
集め農業を始めています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第5回)
私は、昼休み過ぎ、いつものように、学生掲示板を覗き込んでいました。
その時に、私の目に飛び込んできたのは、忘れもしない
『第一回海外企業研修』 と書かれたの文字。
そして、オリエンテーション(説明会)の案内が・・・。
金額も40数万円と書かれています。
その時の私は、金額の事より、自分自身の好奇心、そして未知なる
ものに飛び込む気持ちに抑えられないものを感じました。
通常、海外渡航、ましてや生活体験をしようというのであれば、
よく起こりうるであろう、金額に対する不信感や、不安、その内容を
疑う気持ち等は不思議と一切ありませんでした。
金額自体は、当時の私には圧倒的に高いものでしたが、半年先だし、
貯めればなんとかなるだろうと思っていました。
(もし、それが仮に怪しいものであったのであったとしても、その頃の
私は、確実に騙されていただろうと思います。)
とにかく、説明だけでも聞いてみたい、海外って・・・?なんだ!
もう好奇心の塊でした。
・
・
・
しかし
問題が一つ
私には、1回生の頃から一度も休んだ事のない、剣道部の練習
がありました。
皆勤賞というものが存在するわけではないのですが、
休み=さぼり、悪、よくないこと、堕落、、、 みたいな完璧にマイナス
の構図が当時の私の中には存在していました。
全国3位、日本のトップレベルまで行った大学です。
いい加減な気持ちで練習した事は一切ありませんでしたし、みな真剣
なので、自然とモチベーションがあがる雰囲気がその場にはありました。
圧倒的な強さを持つ仲間、先輩に囲まれて練習できる事に喜びも
感じていました。
しかし、練習にいくまでのほんの、数メートルの道のりでは、
さぼりたい気持ちや、サークルや、部に所属していない周りの仲間の誘い
を受け、誘惑にかられた事も、正直何度もありました。
しかし、いつも、罪悪感を感じるくらいなら一生懸命練習しようと、
気持ちを鼓舞し、ここまでやってきました。
だからこそ、海外研修のオリエンテーション(説明会)に対して、
参加することに、違和感を感じ 罪悪感も感じていました。
しかし、まだ海外にいくと決めた訳ではない。
説明だけでも聞いておかないと・・・その道は絶たれるかもしれない
どちらに転ぼうと、選択肢があってもいいのではないかという気持ち
(もしかしたら、自分を正当化しようともしていたのではと思います)
から、迷ったあげく、始めてずる休みをして、オリエンテーション
に参加することに決めたのです。
続く ⇒ 第6回
2006年07月25日
U-stay's blog No.23 嘉悦学園のこと
嘉悦学園(東京の小平市にあります)という
女子大が、まだ嘉悦女子短大
の頃だった
頃の話です。
バレーボール
の大会で嘉悦女子短大が
決勝戦にでた事がありました。
同じ名前で珍しいという事、
そして、その決勝戦が大阪で行われるという事も
あり、父と母はその決勝戦を観戦しに行きました
(こんなのが好きなんですよ〜、
まぁ受け継いでいるところは大きいかなと
思いますが・・ (笑) )
そして、決勝戦に勝ち、嘉悦学園は優勝
したそう
ですが (ここから父の父たる所以だと思います)
・・・なんと、父は、嘉悦学園の理事長に挨拶
に行ったそうです。
同じ名前というだけ! で、縁があるかも・・・・と
思ったそう。
すると、なんと 父とその理事長は、同姓同名だった
のです。
漢字は違いますが、二人とも (やすと) という
名前だったのでした!
※ちなみに、実父が靖人・当時の理事長が康人氏です。
し・か・も、二人とも九州の熊本出身
・そして二人とも
八代にルーツがありました!!
本当に、お互いに何かの縁でつながっているのかも
しれませんね〜と盛り上がったそうです。
こ〜んな事ってなさそうで、結構あるなぁと思う感じて
いるこのごろ。
しかし、父が、その理事に会うという行動を起こさなければ、
そしてそもそも、名前に興味を持ち観戦にいかなければ、
事実は闇の中・・(というより、知ることもなかった)と思うと、
その好奇心と行動力に感謝の念
さえ覚えます。
さて、嘉悦学園は、熊本出身の4代前の祖先・
嘉悦 孝(たか)が
1903年に創立した学びやです。
教訓である 『怒るな、働け』は、現代にも十分、通じる
ところがあります。
詳しくは こちら↓
http://www.kaetsu.ac.jp/~kohta/Information-j.html
よいこと書いてますよ〜
殺伐とした学生の事件が多い昨今ですが、
こういう精神をもつ方が筆頭にたち、リーダーシップを
発揮されたならば事件も減るのだろうと思います
ちなみに、私は生まれも育ちも大阪ですが、
本籍だけは、ずっと熊本に残そうと思っています。
ルーツ
は大切にしたいですね。
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第4回)
大学も1年の終わりに近づくにつれ、先につながる何かを
したい・・・ 思い切った事をしたいと思っていました
余談ですが、ちょうどその頃、インターン制度が関西の
大学を連合して始まり、企業インターンシップ
の
第一期生として申し込みをしたのもその頃。
滋賀にある印刷会社でインターン生として3週間働きま
した。
社会にでたい意欲が強かった
のだと思います。
やりがいも何もわからないままでしたが、アルバイトと
いう形ではなく、まずは一社会の現実に触れてみよう
という気持ちでした。
まだ、やりがいにつながる実感を得ることはできません
でしたが、社会のなんたるか、、、を垣間見れたよい経験
ではありました。
さて、私自身、剣道をすることが、先につながらないとは
思っていませんでしたが、それでも、このままの変わらぬ
環境に対する不安がありました。
レギュラーになりたい。しかし、なれないかもしれない
という、なんともいえない虚無感、あきらめの境地
(こうしたことは口にしてはいけないのかもしれません、、、
が当時は、そんな思いを実感していました)
が募る中、 懸命に練習をすればするほど、持って
生まれた才能を見せ付けられる気がしていました。
未来に希望を失いかけていました。
当時は、剣道を続ける事は、イコール 公務員や、
企業への就職が有利になると図式はがあったのかも
しれませんが、そうした意図で剣道に励んでいたわけ
ではありませんでした。
ただ、純粋に打ち込むものが欲しいという一心で入部した
剣道部でしたので、将来に対する漠然とした不安からか、
徐々に、剣道に対する自分の思いに疑心暗鬼にもなって
きた頃でした。
そして、その後、決定づける出来事が起こるのです。。
続きはこちら⇒ 第5回
2006年07月19日
U-stay's blog No.22 クイズの答え
さて、前回の続き、映画の帰りのレストラン
で、
どんな言葉が書かれていたか
ですが・・・。
あの後、私の中でも色々頭の中がぐるぐる回っています。
自分の立場も無関係でないなと思うからなのですが。。
その言葉は・・・(引っ張る 引っ張る 笑 )
↓↓
・
・
・
・
『映画の半券を持っている方は、10パーセントOFFになります』
でした!!(窓際にさりげなく、小さいメモが貼ってありました)
映画を見終わった方は、半券を持っている方が多いでしょう。
そして、映画を見終わった後、食事をするというのも自然な流れ・・。
ちょっとしたことですが、その言葉があるだけで、迷った人は、
そのお店に入る理由があるのではないでしょうか。
確実に、選んでもらう工夫ができているなと思いました。
そして『おっ』 なるほどな と思わせる工夫も。
人によっては賛否両論があるのでしょうが、私にとっては
大きなきづきでした。
映画
を見終わってそのレストランに行く人も、
通常なら定価のはずが、映画の半券があるという事で、
10パーセントOFFになり、ハッピー
になる。
そして、レストラン側も、ちょっとしたアイデアで集客でき、
ハッピーに。
なるほどな〜〜って思った一件でした。。
さて、これを知ってみなさんどう思われたでしょうか?
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第三回)
(前回からの続き・・・)
前回はこちら ⇒ 第二回
将来の事の不安を考えた時、父の事が常に頭にありました・・・。
私の父は、警察官だったのですが、その頃、警視生になって
いました。
家族・親戚みんなで集まり、お祝いをしたり、父に喜びの言葉・
贈り物が沢山届いていました。
私が幼い頃から、その道一筋の父でしたので、
よく親戚のおじさん・おばさんや、周りの方からは
『こーちゃんも、大きくなったら、お父さんみたいに警察官になったら
いいよ、、』
『お父さんみたいに公務員になるのが、将来安心だよ』
と言われ続けていました。
父の仕事ぶり (団塊の世代で、コツコツまじめに取り組み、
承認試験に受かり、実績を積み上げながら、キャリアアップを
続けてきた)をみて、素直に尊敬していました。
父の職場に連れて行ってもらったこともありました。
正直に、告白しますが、自分と父とを比較されるのを
嫌ったのか、幼い頃周りの方に言われすぎるのが嫌だった
のか、天邪鬼だったのか、言われすぎる事に対して
の、反発心があった事は事実だと思います。
小さい頃は、あまりに、父の事を言われすぎたので、
自分に矢印が向けられず、構って欲しかったのかも
しれません。
公務員になることが、レールがそのまま引かれる気がして、
それを無意識的に嫌ったのかもしれません。
若しくは、父への対抗意識? なのかともと思ったこと
もありました。
そんな経緯をえた私には、警察官・公務員の選択肢は全く
ありませんでした。
性格的には、正義感は強い方だと思いますし、警察や、
教師は向いているんじゃないかと自分でも思います。
事実、そうしたことを良く言われました。
先生に向いているんじゃないかと。。。
(恐らく、子どもと、一対一で接することは、
自然とできる自信はあります。しかし、当時、自分が
なってよいと、自分を認めることができませんでした。
聖職である教師という立場に自分がなってはいけないと
真剣に思っていました。
特に、数多い職の中でも、教師・弁護士・医者は人の一生を
左右する神聖なる職であり、人格者こそなるべきだと
自分勝手に思っていました。
なので、子どもの頃から、いたずらをしたり、遊んでばかりいる
自分がなるべきではないなと・・・・。)
そして、聖職であるという半面で、その頃は、仕事を
してもしなくても、一定の給料がもらえる公務員、年齢を
重ねるに連れ、実力とは関係なく、自然と序列が上に
なる年功序列主義に疑問を抱いてもいました(当時は、
考えが偏っていたのかもしれません・・・・)
そして、どうせなら、そういう窮屈で縛られたところで
仕事をするより、可能性がもっと広がる仕事、自分の
やりがいをみつけ、そして実感できる仕事につきたい
と思い続けていました。
続く ⇒ 第4回
2006年07月17日
U-stay's blog No.21 クイズ(前回の続き・・・)
前回、映画の事を書きましたが、その帰りの出来事を
書きます。 メモしていた事を掘り起こして・・(笑)
映画が終わってからの帰り道、お洒落なレストランが
10件程、続く、一本道がありました。
お腹がすいていたこともあり、気になりながら歩いて
いたのですが、その立ち並ぶお店は、どこも、よい感じ
のお店でした。
その時、ふとある、ある一軒のレストランに目が
とまり・・・!!
『なるほどーそうきたかー』
『うまいなー 』
という事がありました。
もし、どこかのレストランに入ろうかと迷って
いたなら、私なら迷わずその、レストランに入った
であろうと思います。
ほんの、ささいな事ですが、差別化につながるなぁ
と思いました。
そう思わせる気づきがありました。
さて、どんな仕掛けで、そのお店はお客様を呼び寄
せる事に成功していたと思いますか?
使ったツールは?
ちなみにお金をかけているわけではありません。
知恵とアイデアを使っているだけです。
是非考えてみてくださいね!!
2006年07月14日
U-stay's blog No.20 不撓不屈
映画、不撓不屈
をみてきました。
不撓不屈という、ネーミングも又、内容にマッチして、
グッドだなぁ
と思いました。
”撓 ”は 調べてみると、たわむ・たわめる
(押し曲げる・弾力のあるものがまがる)という
意味があるのですが、社会権力に屈せず、意思を曲げず
戦い続けた姿勢に素直に感動しました。
内容は、言うとネタばれになるので、控えますが、
感情移入を思いっきりするつもりでみてましたので、
大号泣
してしまいました(笑)
映画なので、みせるために多少(?)の脚色はあるの
でしょうが、それでも、国税庁の対応に疑問は、
あったのでしょう。まただからこそ、裁判になり、社会問題
になったのだと思います。
間違ったことは間違っている、正しいと思うことは、正しいと
いいきり、相手の重大な落ち度がある事がちらついた時も、
それをあえて、根拠がないから、攻め立てる事をしなかった
正義感のある態度
、そんな中での家族の触れあい
・・・
全てが、私には新鮮にみえました。
ああいう、志をもった、使命感
をもった税理士さんがこの日本に
存在したんだと思うと、もっと日本が好きになりました
志や熱い想いのある(日本や社会に対して、広く思いやりがある
とも言い換えられますね)士業さんや、経営者とこれからも、もっと
数多く出会い、深く付き合っていきたいなと改めて、思いました!
2006年07月11日
U-stay's blog No.19 子どもが育つ魔法の言葉
何故に、今、このタイミングで購入したのだろうと
思いながら、両親が買ってきた本を手に取り、
読んでみると、しらばく時を忘れ
、没頭してしまい
ました。
その本をご紹介します。
この本は『子どもが育つ魔法の言葉』という
タイトルなのですが、子どもだけではなく、経営にも
人生にも活かせると思います。
きづきが満載の本でした。
すらすら読めませんでした。
味わい、考えながら読んだので。。
自分だったらどんな声をかけるのだろう・・
どう接するだろうと・・・思いながら。
〜〜子は親の鏡〜〜
けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは
みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱り付けてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切
さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のあることの
大切さを知る
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世は
いいところだと思えるようになる
ドロシー・ロー・ノルト 詩『子は親の鏡』より
子どもに関する事件も多い昨今ですが、
このような本が話題になってもっと読まれたらよいのになぁと思います。
(ネットで調べてみるとすでに、かなり話題になって
いましたが・・・!!)
この詩の後半に象徴されるように、
みんなが相手の事を少しでも
思いやれる世の中になったらよいなと思います。
是非ご一読を!
2006年07月09日
U-stay's blog No.18 留学のルーツ
先月の西日本新聞に掲載されていた
【言葉のルーツ】というコーナーから
『留学のルーツ』をご紹介します。
『留学のルーツ』
留学のルーツ(歴史)は遣隋使・遣唐使に始まります。
西洋でもギリシア以来、学問修行の為の人間の移動は
さかんに行われ、中世における12〜14世紀の大学の
成立と発展は、民族や文化の壁を越えて若者達の、遍歴
(放浪学生)と留学に支えられたものでした。
近代日本における外国への留学は幕末に始まり、
明治に入ると国家の重要政策の一つとして推進されました。
1862年、江戸幕府が始めてオランダへ留学生を送り、
1866年には幕府によって留学の為の外国渡航も許可されました。
H18・6・18 西日本新聞 言葉のルーツより
みなさん、個人個人で、旅行以外で留学や、
海外生活体験をされた方も多いかと思いますが、
そうしたルーツを集めても面白いだろうなと思いました。
例えば、仕事をやめて、ワーホリいく人たちも多いですが、
そこに行くまでの過程も、本当に人様々。
なんの為に、そこにいるのか? という事も大事ですよね。
〜海外生活支援業までの道のり〜 (第二回)
(前回からの続き)
前回はこちら ⇒ 第一回
順調に昇段審査をパスしていったのとは、裏腹に壁に
当たっていたのも、その頃でした。
高校時代とは明らかにレベルの違いを感じ始めていました。
例えていうなら、成長の階段があるとすれば、その一番最上階
にいるようなものでした。
回りのレベルが高く、ここでこのまま、練習すれば
自然と上達する気がしていましたし、事実、勝てなかった
先輩にも少しづつ勝てる回数も増え、実力が上がっていることも
実感していました。
当時、全国の高校から選らばれた選手のいる、
意識の高い集団の中で実践・練習を積むことは
非常にいい経験になったと思います。
ただ、それでもどうしても周りとの差を実感せざるを得ない事
もありました。充実したものを感じる一方、このままの練習で
勝てるのだろうか?レギュラーになれるのか??と悩んだりも
していました。
当時、大学1年生ではありましたが、受験を失敗し浪人生活を
送った後、入学した大学でしたので、人より遅れているという
コンプレックスもあったと思います。
そして、将来の事も頭をよぎっていました。
確かに今、自分はやりたい事をやっている。
しかし、これは将来につながるのだろうか?
今やっているのは将来につながるやりたい事なのか?
どう先につなげたいのか?
この先、私はいったい何をしたいのだろう・・・?
何が向いているのだろう・・・・?
何がやりたいのだろう?
大学入学する前は、高校を卒業したら、そのまま大学という
事が当たり前の考えでしたので(他に選択肢を考えることが
ありませんでした)迷うことも、考えることもありませんでした。
しかし、このままでよいはずがないとも思っていましたし、
大学に入ってから、この事がずっと私の課題ではありました。
自分はどんな道を歩むのだろう。
剣道部の事もありながら、一方では将来に対する漠然とした
不安を抱えながら過ごしていました。
続く ⇒ 第三回
2006年07月01日
U-stay's blog No.17 海外生活支援業とは
留学斡旋、留学業界はどうもあまり良くないイメージが
あるみたいですね
私は海外生活支援業という言葉を使っています。
海外に行った時と、日本にいる時とのギャップを埋めきれない
部分が現実には存在すると思います。
そのギャップを、買い手の知識不足につけこみ、売れたらいいと
ばかりに、 過剰に、オーバートークをしたり、売り手側の利益ばかり
考えるところに 問題が発生します。
ただ、一方では、この業界(旅行業界も含めて)にいる方は
夢を持って取り組まれている
方が多いと思いますし、ご自身の
海外経験が強烈でそれを、他の人に伝えたい・ご自身の知識や、
経験を生かして役に 立てたいという思いで取り組まれている方が多い
のではないでしょうか?(そう願います)
少なくとも私の知り合いの経営者の方はそういう方が多いです。
海外生活支援業といっても、要は他の業種と同じです。
自身が利用した経験・サービスを、心からお伝えする姿勢、
特に海外では予期せぬことも起こりがちですが、先に経験した方が、
自身の経験から予防線をはって、これから旅立つ方へ、安全面も
踏まえてお伝えすること。
そして何より感動や・夢・心地よさを伝えること、その橋渡しで
あったりキッカケとなることが、この仕事の醍醐味だと思います。
よい所はあまり目につかなかったり、批判や、誹謗中傷が世の中
には あふれていますが、もっと多くの人が、相手の良いと思うこと、
感動したこと、嬉しいと思うことを、素直に回りに伝えていく事が
できたら、その方の周りにもプラスの影響が起こり、お互い響きあう
世の中になっていくのだろうと思っています。
その為に、お互いが認め合うこと、受け入れることが第一歩になると
信じています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
〜海外生活支援業に至る道のり〜
(第一回)
(大学1年生の頃)
大学に入学したての頃、私は剣道部に入りました。体育会系
という事で、中身の練習はハードで濃密な時を過ごしていました。
その時、高校時代に優秀な実績を残し、選抜で大学の剣道部
に来た同級生も何人かいました。
私は、高校生から剣道を始めましたので、彼らが相当レベル
の高い位置にいるように思えましたし、又実際にそうでした。
(後で知る事になるのですが、日本でもトップレベルの学生達
だったのです)
それでも高校時代、7人が初段、初心者が私を含めて3人と
いう中からレギュラーをとった成功体験もありましたので、
あの時と同じように練習すれば、必ず上達するだろう。
そしてレギュラー入りも夢ではなくなるなと信じて頑張って
いました。
淀川警察署に通っては剣道を習い(初


を募集いたします。 
